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歴史的必然

歴史において個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を超える事である。
自ら進んで自由に死ぬ事によって死を超越する事の外に、死を超える道は考えられない。

歴史的現実

田邊元

1940年

 田邊元(たなべはじめ)は、京都大学哲学科の教授で西田幾多郎の後継者だった。

 この「歴史的現実」は京都大学での6回の講義をまとめたもので、薄いパンフレットのような本である。学生たちに普及させる意図がうかがえる。

 学生たちは戦地に赴く理由を求め、藁をもすがる思いでこの「歴史的現実」を読んだことだろう。

 田邉は膨大な哲学の知識を駆使し「歴史をつくるのは個人の決断であり、歴史的必然に従って、永遠となるべく自らの意思で死ね」と言っている。

 田邊としては、戦地に赴く学生の心の拠り所として役立つものを作ったと思っていたのかも知れない。
 

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私見では第二次世界戦争は「世界最終戦」であろうとひそかに信じている。
この最終戦を戦い抜くために国民を領導することこそ今日以後の戦国政治家の任務であらねばならない。

「大戦を最後まで戦い抜くために」

尾崎秀美

(『改造』1941年11月号)

 尾崎秀美(おざきほつみ)はゾルゲ事件で有名なゾルゲスパイグループの一員だった。尾崎は当時の近衛内閣のシンクタンクにいたので、政府の内部情報を入手できる立場にいた。日本はソビエトを攻めないという重大情報が、尾崎の働きでスターリンにもたらされ、スターリンは安心して対独戦に集中できた。ナチスを敗北させたのは、尾崎の働きも大きい。

 しかも尾崎は朝日新聞の記者であり、さまざまな総合政治雑誌に大戦の意義を書き連ね、対米戦を煽っていた。日米を戦わせて消耗させ漁夫の利を得て革命を遂行しようという意図である。

 戦前、共産主義者は知識階層を中心にいたるところにいた。彼らは近い将来世界は共産化することを歴史的必然として信じていた。しかし共産主義が非合法だったので心情的に共産主義にシンパシーを抱いているがそれを隠していた人は数多い。軍隊や官公庁にも相当数いたようだ。

 尾崎もそうだがソビエトでスパイ教育を受けたわけではなく、知人がソビエトのエージェントだと知ると彼らは自ら進んで協力した。

 戦前の共産主義は国際主義であり、同じ共産主義者であればどこの誰であろうと「同志」であった。 

そもそも資本家地主の支配階級に対してプロレタリア農民が奮起し、闘うのは何故か。
搾取があるからです。
搾取を一刻でも長くつづけようとするために、あらゆる方法で行われる抑圧があるからです。
それらを可能にしている資本主義体制と闘うのは、歴史の必然の力であります。

「同志たちは無罪なのです」

  宮本百合子

「働く婦人」1932(昭和7)年

9・10月合併号

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 宮本百合子は戦前に作家として名を馳せた。共産主義運動に関わり、後の日本共産党の書記長、宮本顕治と結婚し筆名も旧姓の中条から改名した。一度目の結婚でも筆名は変えなかったので、共産主義運動と宮本顕治との連帯心の強さが現れている。

 労働の搾取はマルクス主義の重要理論であるが、これほど端的に表現している文章は珍しい。抑圧について語る場合には、複雑な事情に配慮した文章を書きがちであるが、宮本百合子の文章には迷いがない。ここに一つの典型的な(理想的な)搾取と抑圧の物語がある。

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